さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき
・・・啄木が釧路の街におりたったのは、明治41年の1月のことでした。
当時釧路は根室本線の終着駅で、根室本線は開拓の中心であった石狩の方から延びたのではなく、釧路を起点にして明治34年に穀倉十勝の資源を運ぶためにのびたものです。
釧路はこの十勝の資源と、釧路川の上流の木材や硫黄の積み出し港として発展した街で、十勝の大津や石狩が栄えた明治の中期頃までは、貧しい河口の漁村にすぎなかったのです。
私の青年時代のこの街は、ひどい濃霧に包まれた魚臭い街でした。
しかしその印象は必ずしもいやな思い出ではなくて、今も霧の奥から差込む柔らかい光のように、私の中に明るく澄んでいます。
いつかこの町の中央にかかっている幣舞橋の上で、目の不自由な人が、霧にぬれた手摺にもたれて、じっと何かをさぐっていました。
それは海という未知の世界に出て行く漁船のざわめきだったのか、濃霧の中から太く強く船人たちに呼びかけてくる、霧笛の呼びかけであったのか知りません。
そのとき私は、その頃まだ行ったこともない、北欧のことなどを思いめぐらしていました。
札幌旅行もいいものですが、私としては釧路もおすすめしたいです。
・・・啄木が釧路の街におりたったのは、明治41年の1月のことでした。
当時釧路は根室本線の終着駅で、根室本線は開拓の中心であった石狩の方から延びたのではなく、釧路を起点にして明治34年に穀倉十勝の資源を運ぶためにのびたものです。
釧路はこの十勝の資源と、釧路川の上流の木材や硫黄の積み出し港として発展した街で、十勝の大津や石狩が栄えた明治の中期頃までは、貧しい河口の漁村にすぎなかったのです。
私の青年時代のこの街は、ひどい濃霧に包まれた魚臭い街でした。
しかしその印象は必ずしもいやな思い出ではなくて、今も霧の奥から差込む柔らかい光のように、私の中に明るく澄んでいます。
いつかこの町の中央にかかっている幣舞橋の上で、目の不自由な人が、霧にぬれた手摺にもたれて、じっと何かをさぐっていました。
それは海という未知の世界に出て行く漁船のざわめきだったのか、濃霧の中から太く強く船人たちに呼びかけてくる、霧笛の呼びかけであったのか知りません。
そのとき私は、その頃まだ行ったこともない、北欧のことなどを思いめぐらしていました。
札幌旅行もいいものですが、私としては釧路もおすすめしたいです。